篠原欣子さんはこの10年間ずっと、米経済誌『フォーチュン』で「世界最強の女性経営者」に
名を連ね続けているテンプホールディングス㈱の篠原欣子さん。
なんと、70歳を超えていらっしゃいます。インタビューした山口もビックリです。

篠原欣子さんを「昭和の女傑」と呼ぶには、あまりにも柔らかな物腰と親しみやすい笑顔。
「現場が大切」と、フレンドリーに社員と話すその姿からは
数々の修羅場をくぐってきた人とは到底思えません。

マンションの1室から経営の「け」の字もわからないままにスタートして、
今や年商2000億円の大企業。

年商2000億円!?まるで別世界!別次元!全然関係ない!
そう思われますか?

しかし、篠原欣子さんは創業期、
たった3万円が足りなくて、資金繰りに走り回っていたのです。
誰もがこの事例から、会社経営の本質とは何かを学ぶことができます。

幾度となく直面する試練を乗り越えながら、成長しつづけた篠原流経営。
会社をひとまわりもふたまわりも成長し、
さらに社員をも幸せにする経営の秘訣を学んでください。

まずはサンプル動画ごご視聴下さい

年商2000億の社長も、最初はド素人!

篠原欣子さんが起業したのは38歳。起業家としては遅いスタート。経営のことはまったく分からず、営業もしたことがない。マンションの一室を借りて電話と机がひとつずつ。寝泊まりもそこ。「源泉徴収」という言葉さえ知らず・・・、資金繰りが苦しくて、3万円が足りなくて泣きながら借りにいく・・・。

1970年代、女性の社会進出が難しかった時代。決して起業に恵まれた環境ではありませんでした。今は年商2000億、多くのグループ企業を束ねる篠原欣子さんですが、最初は経営ド素人だったのです。経営の勉強やMBAの取得も大切な学びです。
しかし、篠原欣子さんの経営の軌跡からは、経営者は「経営をすることで経営者になっていく」ことをひしひしと感じずにはいられません。
成長途中の経営者やリーダーなら、「失敗したっていいんだ」と励まされ、チャレンジする大きな勇気をもらえることでしょう。
また起業を考える人なら、会社を始めるのに「遅い」ということはない、「知らない」ということは障害にならないことを学べます。

「あ、うん」が通用しなくなった時、次にやるべきこと

篠原欣子さんが会社をやり始めた時は、社員も少ない。だから会社のことはすべて見通せます。
しかし事業が軌道に乗ってきて、社員が増えてくると、今までにはなかった悩みが出てくるものです。篠原欣子さんも会社が大きくなってきた時、今まで「あ、うん」の呼吸で仕事をしていた社員たちが、忙しさに追われていく。創業時の自分の思いや理念などが現場に受け継がれずに進んでいく危機感を覚えたそうです。
こんな時、社員ひとりひとりに、トップダウンで「アレはダメ」「これはダメ」「こうしろ」「ああしろ」と言う経営者もいるでしょう。
しかし、篠原欣子さんは違いました。その結果、問題が解決しただけでなく、さらに会社が飛躍することになったのです。
この組織構築法は必見です!会社を興せば誰もが必ず通る道。マネジメントが必要になる時期が会社には必ずあるのです。

社長は「変えたい」、社員は「変わりたくない」

テンプスタッフが大きく拡大し成長するカギとなった、社内大改革。その社内改革を押し切った後、大混乱が落ち着くのに数年かかったそうです。
実績もあり、積み上げてきた歴史がある企業が、さらに飛躍するために必要だった大改革。成長する過程で必ず来るターニングポイントです。この決断ができないから会社がダメになると篠原欣子さんは言います。
会社の「今」を支えている成功体験との決別。「今まで」を作ってきた社員との軋轢。
転機を見極め、経営者がすべき決断とは何か?
これがわかるとあなたの会社はさらに成長するのです。

女性と男性、違いを生かしてさらに飛躍する方法!

テンプスタッフは、当初女性ばかりの会社でした。
しかし、女性ばかりで年商100億となった頃、売上が鈍化し始めたといいます。
かちっとした組織もなく、明確な売上目標もない。社長のように誠心誠意仕事をすれば、売上が上がるという体質に、とうとう翳りが・・・。
そこで、行われた男性社員の起用。新と旧の葛藤。男と女の違い。文化が違うもの同士の対立と融合。まさに大混乱。しかし、この事例では、それらが組織にどんな利益をもたらすのか? 混乱の先に開ける新しい可能性とは何かについて教えてくれています。
これからの成熟社会において、企業は多様性を受け入れ、
違いを活用することが大切だと叫ばれています。
今の時代に大きく飛躍するため、社員の多様性をいかに活用するかを学んでください。

会社存亡の危機!?大ピンチは大チャンス!

テンプスタッフが社会に広く認知され始めたころ、世間を騒がせた名簿流出事件がありました。容赦なくマスコミに叩かれ、世論からの激しい批判を浴びました。 会社が潰れるかもしれないと思うほどの危機。
会社を長く経営していれば、当然ピンチのひとつやふたつ直面することはあります。社長ひとりでは乗り越えることはできません。
そのとき、篠原欣子さんが全社員に向けて言ったことは、意外な言葉でした。
会社存亡の危機を救った社員の行動とは?そして社員を動かしたのは何か?ピンチがチャンスに変わる時、経営者の姿勢が問われます。

篠原 欣子氏のインタビューから学べること

  • お金がない、営業の「え」の字も知らないでスタートし、2000億の大企業に育てあげた篠原欣子さんを今も支え続け、原動力となっている“2つの思い”とは?
  • 会社は経営者の器以上には大きくならないと言われるが、「こうすれば器は自然と大きくなる」篠原欣子流の方法とは?
  • 事業が軌道に乗り社員が増えてきた時、最初にぶつかるマネジメントの悩みを解決し、さらに会社を成長させる「細胞分裂」経営とは?
  • 順調に成長を続けてきたテンプスタッフ。ある時点まで来て売上が鈍化したとき、篠原欣子さんが決断した大改革とは?
  • 女性、男性、それぞれの強みを融合させるだけでなく、違いから起こる軋轢も混乱もマイナスでなくむしろ活性化であるという篠原欣子式マネジメントとは?
  • リスクを最小限にして安定した成長ができる「ヤドカリ経営」とは?
  • 経営のことは何も知らなかった「素人」から、苦難を乗り越え「世界最強の女性経営者」へ。苦しいときの支えとなり、経営の基本の「き」を教えてくれた心の師とは?
  • 起業するきっかけとなった海外での生活。また経営にも生かされている海外で学んだこととは?
  • 「倒産するかもしれない」ほどの危機も、社員の結束を固め、成長への一歩となる。そんな大ピンチをチャンスにして成長させる方法とは?
  • 「常に恐怖心があったから、苦難から逃げずに前に進むことができた」という篠原欣子さん。その「恐怖心」とは?
  • 多くの会社をM&Aで統合していく際に、文化の違うグループ会社のマネジメント方法とは?

出演者プロフィール

篠原 欣子(Shinohara Yoshiko)

テンプスタッフ株式会社

代表取締役

篠原欣子 1934年、神奈川県生まれ
助産師として働く母を見て育ち、 自立した女性像に憧れる
高校卒業後、三菱重工業等でのOL生活を経て
32歳でスイス・イギリスに留学、語学、秘書学を学ぶ
1973年、オーストラリアで
「誰かが休むと、どこからともなく優秀な人がきて、サーッと事務処理をしていく」
人材派遣業の存在を知り、帰国後、人材派遣会社「テンプスタッフ株式会社」を設立
個人名簿流出事件などの危機を経て、より堅固な企業体制へ

資本金100万円の創業から
2010年2月現在、従業員3600人・年間新規登録スタッフ172,000人・売上高2450億円の
テンプホールディングスへ育て上げ、
米『フォーチュン』誌による、「世界最強の女性経営者」に10年連続で得選ばれる
2006年、東京証券取引所第一部上場

プロデューサー 王

ゼロから年商2000億円になった秘密

出演者
テンプスタッフ株式会社
代表取締役
篠原 欣子(Shinohara Yoshiko)
商品詳細
DVD 1枚(収録時間約90分)
CD 2枚(収録時間約90分)
A4判の教材スクリプト(文字起こし)
特別特典
決済方法
クレジットカード、代金引換をご利用いただけます
visa jcb Master AMEX
発売日
2010年3月25日

単品購入

DVD+CDセット(おすすめ!)
11,850円(税抜) 送料無料!

DVD
9,073円(税抜) 送料別 500円

CD
9,073円(税抜) 送料別 500円

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